レビューをいただいていました。


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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

来月には

 もしかしたら、別のところから新しい作品を出せるかもしれません。といっても、実は数年前に書き上げて温め続けていた原稿だったりします。ごく普通の、頑張って働く人達に読んでいただきたい恋愛物です。

アルスラーン戦記 1巻

アルスラーン戦記 1巻

アルスラーン戦記 1巻

[著]田中芳樹 : 荒川弘

ハロウィンと夜の物語~真実は虚偽~

 考察最終回です。歌詞カードの「おやすみレニー」の面のずっと下のほうに書いてある謎の言葉についてです。

 私はミステリーをよく読むんですが、正直この「地平線の序数」を読んでまず思い出したのが京極夏彦先生の「姑獲鳥の夏」でした。あと他の方の本でも、なぜか同じようなことがよく取り上げられて、目にする機会が多かったことです。

 すなわち、「人間の認識により、世界のとらえ方は千差万別である」という話。

 人は決して世界をありのまま見ているのではなく、一旦脳を通して認識するので、どうしても錯誤が起こりやすいのだそうです。大学の時勉強した心理学の授業では、記憶のメカニズムについてちょっとかじったんですが、記憶というのもその人の主観なり思い込みなりが混ざるので、決してありのまま起きた通りには覚えることはないんだそうです。思い返す度に変わっていく。よく言われる、「何か事故とか事件とかが起きた時、証言者の話がみんな食い違う」というのはそこから来てるんでしょうね。

 という知識が先にあったので、まず「真実は虚偽であり~」という部分を読んだ時に上のようなことを連想しました。人間はつまり、自分の望む物、見たい物しか認識しないということ。サンホラ曲でも「ゆりかご」がその代表例ですね。もう骨になってるのにお母さん的には「泣きもせずいい子」。

 「ハロウィンと夜の物語」では、何がこのケースに当てはまるかというと、やはりケイトの心情だと思います。ケイトは、「あの子(レニー)は今でも終われなかったハロウィンの続きをしている」と思い、「カボチャみたいな頭の男の子を見掛ける」こともある可能性をすら示唆しています。しかし、同時に矛盾するようですが、他者にとってそういう話が「作り話」だと思われることも認識している。そうでありながらもやはり、ケイトにとってはその「作り話」=幻想こそが「己の信じたいモノ」なのでしょう。

 これは、現実の人々にも当てはまることです。普段意識することはありませんが、死者に対する宗教的な行事などの時、ごく自然に「亡くなった人がこう思っている」と感じる事があるのではないでしょうか。例えばお盆など、「亡くなった人が帰ってくる」といいますよね。でもそういうのだって、乱暴にいってしまえば「お話」に分類されることなのです。仏教行事に親しんだ人にとってごく自然な認識でも、キリスト教の人から見たら「え、なんで死んだ人毎年帰ってくるの?」となりますしね。視点が変わってしまえば、当たり前が当たり前でなくなってしまう。真実が幻想になってしまうのです。

 ということを考えながら限定版のホロ見ていたら、角度によって見えない人々がいることにも意味があるような気がしてきます。通称木の下さん、そしてオレンジ色のお二方は、よくよくずらさないと見えない角度がありますね。おかげで私は、しばらく木の下さんの存在に気づかなかった(笑)。もしかしたらこの仕掛けは、上記のようなことを意味するのかなと。

 結構ゆっくりだから気づけば明日が大晦日というていたらくですが、以上を私的解釈としてまとめさせていただきます。ここまでおつきあいくださり、読んでくださった皆様、ありがとうございました。いろいろ勉強になることもあって楽しかったです。サンホラは深いですね。

テーマ : Sound Horizon
ジャンル : 音楽

ハロウィンと夜の物語~眠る前の三秒~

 「おやすみレニー」の最後の台詞、ケイトの「あなたが眠る前の三秒でいいのです」の下り。音楽がいきなり途切れ、「おやすみ、レニー」という言葉の「レニー」の部分は右側=サンホラ的には死を表す側から聞こえるということもあり、何となく不安な印象を与える箇所です。

 とりあえず「眠る前の三秒」というのに何かおまじないのような意味がないのかと思ってざっと探してみましたが、なんも出てこなかったです。ちょっと気になったのは、ブログ記事ですが「眠る前の三秒の間に、その日一日の出来事を感謝して眠るようにしている」という内容でした。眠りに就く前の三秒間で、それまであったいいことを考え、「自分は幸せだった」と思うようにしていれば、たとえ翌日になくなったとしても悔いは残らないし、幸せな気持ちでいることができる。そしてそれまでの人生で関わった人に感謝することで、心にけじめをつけることができるというような内容でした。

 ライブ曲ですが、「遺言」に通じる部分がありますね。「明日いなくなるかもしれないから」ありがとうと伝えるのだという名曲。

 レニーにおやすみをいうのがどう関わるかというと、ケイトの台詞「すべての哀しみや憎しみを忘れて」でしょうか。レニーの寝顔(死に顔)は笑っていたのですから、彼の人生は彼にとって満たされたものだったのでしょう。そんな幼い少年に告げる「おやすみ」は、ただただ優しいものでなくてはならない、という想いにも聞こえます。まあ確かに、普通に毎日寝る時にぶっきらぼうに「おやすみ」いわれても腹立ちますもんね。夜のご挨拶は気持ちよく交わしたいものです。寝る前にいらいらすると翌朝もいらいらしてる気がします。

 ケイトは、レニーが「終われなかったハロウィンの続きをしている」と考えています。ハロウィンが終わると、死者は冥府へ帰らなければならなくなります。そしてハロウィンの翌々日は「死者の日=万霊節」ですべてのキリスト教徒の死者のために祈る日です。仏教でもそうですが、死んだ人の魂がうろうろしてるのはあんまりいいこととは見なされてませんね。まあキリスト教は魂とか霊に関してまだ論争続いてるようなので割愛。でもそれを抜きにしても、死んだ人が安らかに眠っていてほしいと思うのは世界共通のことではないかなと思います。だからこそ、「右側からのおやすみ」なのではないでしょうか。

 サンホラにおける「母」というのは、子供を全肯定し子供の意向を完全に叶えようとする傾向があるように思います。命をかけて子供を産んだであろう11文字の伝言の母、屋根裏の母も、根底にあるのは「子供を産む=どんな方法でも生かす」意志だったようにも考えられます。そしてテレーゼもそうですし……。そう考えるとちょっと怖いのが、レニーの死をケイトがどう受け止めるかという決定的な出来事ですね。ケイトが「誰のことも恨まない」と決めることができたのは、「あの子(レニー)の寝顔が笑っていたから」。つまり、寝顔が笑ってなかったら、神もジョニーも自分達も含めて、「さあ、復讐劇を始めようか!」ってなっていたのかも……。

 クリスマスイブなのにまだハロウィンとかいっててごめんなさい陛下_| ̄|○

テーマ : Sound Horizon
ジャンル : 音楽

ハロウィンと夜の物語~歌詞カードの影絵~

 私の買ったのは初回限定版なんですが、歌詞カードを透かすとおもしろいことになっています。カボチャの男についての考察でもちょっと触れましたが、光に翳すと表と裏の絵が重なり合う部分がいくつかあって、例えばシェイマスらしき男の頭にジャック・オー・ランタンが重なったりしています。

 「掘っても掘っても~」のあたりに、狼の毛皮の少年らしき影がその裏の杖をついた男に飛びかかっているような感じになる部分もあります。これ、飛びかかっているように見えますが、上から林檎が落ちてくるのと、狼はサンホラ的に悪いものじゃないというのから考えると、「身を挺して林檎から男をかばおうとしている」という見方の方がいいのかも、という気がします。

 その下のほう、「こんな悲惨な夜なのに~」の付近にいる男の影は、なんだか意味ありげです。「おやすみレニー」のがわに描かれているのは、小さな子供が女性にお花をあげようとしている絵ですが、その二人のそばにそっと寄り添って立っているように見えます。しかも、「おやすみレニー」の側からだとあんまり影がよく見えないのです。シルエットからすると木の下に立ってる彼だと思うんですが……。ということはやっぱり……と想像できちゃいますね。

 この、女性と子供なんですが、いったい誰なのかは意見が分かれるところですね。星柄のスカートをはいているし、髪型からするとディアナじゃないかと思えますが、ディアナに花を渡しているのはいったい誰なのか。後ろ姿しか見えないし、歌詞がレニーに関する物語なので第一印象だとレニーだと思ってしまうところですが、ディアナとレニーの接点は一切語られていないこともあり、何となくしっくり来ない。私の解釈だと親戚にはなるんですが、それでも弱い。

 だとしたら、ジョニーなのだろうか。ジョニーと考えて何か差し支えはあるだろうか。「おやすみレニー」の上の方にいる子供は、ちょっと頭が大きいシルエットですが、これはレニーではないだろうかと仮定してみた上で、花を渡している子供と見比べてみると、似ているようで似ていない。ような気もする。

 が、ここで裏面から重なり合う影絵=カボチャの男さんの存在が鍵になるのではないか。カボチャの男さんになっちゃったのはシェイマスと考えられますが、シェイマスが死ぬ間際に誰より会いたいと願ったのはディアナです。そして歌詞カードの夜の側からは三人が重なり合う様が見られるけれど、朝の側からは見られない。夜=死、朝=生。つまり、死んでしまった側から彼は妻と子供を見ているのではないか。けれど、生の側面=妻子からは彼が見えない。ここの部分はそういう意味の絵なのではないかと考えられないでしょうか。

 この女性と子供をディアナとジョニーとすると、その下の方にシェイマスがいるのがより納得できる気がするんですよね。彼らは家族なのですから。
にがくてあまい 1

にがくてあまい 1

にがくてあまい 1

[著]小林ユミヲ

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(株)パブリッシングリンクで主にファンタジーのTL、いるかネットブックスではBLとライトノベルで活動しています。

八谷 響@エルス

Author:八谷 響@エルス
 (株)パブリッシングリンクより、「奇跡の歌は南を目指す」でデビュー。最新作「貴公子が愛した身代わり乙女~想いは恋文に秘めて~」配信中。いるかネットブックスでBL、ライトノベルを配信しています。最新作は「カフェ・アクアリウムの不思議な事件」です。

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