ハロウィンと夜の物語~なぜ、引っ越しをしたか~

 時間があるうちにやっつけちゃいましょう。今日は、ケイトたち一家が何で引っ越しをしたのかについて。

 恐らくレニーが小さい頃はサンフランシスコにそのまま何年か住んでいたのではないかと思われます。レニーは心臓に病気があるから、引っ越しも負担になるはずです。そして、サンフランシスコはまだまだゴールドラッシュのおかげで仕事もたくさんあり、お医者さんも多かったはず。レニーのための薬代が必要であり、常にいい医者がすぐ呼べる環境こそ一家にとって必要だったと考えられるので、この推測は的外れではないでしょう。何しろレニーはベッドからろくに離れられないであろう病弱さ、そのために父親のショーンが「身を粉にして」働かなければならなかったのですから。

 しかし、しばらくしてから、ショーンの仕事の都合で一家は引っ越しをしています。歌詞に「新しい仕事」とあるので、転職もしたようですね。そして移ったのは「山間の街」。環境は良さそうです。サンフランシスコは都会ですが、ゴールドラッシュの影響で環境問題も結構深刻だったらしいし、病気のレニーにはあまり空気もよくなかったのかもしれません。それにしても、レニーの健康状態からするとそう遠いところへ移動できたとは考えにくいので、サンフランシスコの近所のどこかじゃないかと思われます。余談ですが、「リヴァモア」という名前の街がサンフランシスコの近くにありました。でも地図で調べる限りはシエラネバダ山脈の近くのどこか、としかわかりませんでした。_| ̄|○無念

 街がどこであるかはまああまり重要がないので放置しておきますが、それにしても気になるのは引っ越しをした理由です。いきなり歌の中で時間軸が移動していますが、聞こえてくる会話の中にレニーもおり、それだけ聞けば元気そうに聞こえることから、成長に連れそれなりに体力もついていたのではないか、とは推測できます。病気は治らなかったようですが。そして初めての友達ができ、ご飯もよく食べるほど友達の存在がレニーを元気にさせていたようです。それをみて両親は喜んでいますが、二人のテンションの高さがやはり気になる方も多いのではないでしょうか。

 友達ができた日の恐らく夕食時、家族三人で心温まる団らんをしたあと、ケイトとショーンは「嬉しくて泣いた」とあります。ずっと病気で伏せっていたせいで友達のできなかった息子だから、嬉しいのは当たり前でしょうが、特にショーンの喜び方は激しいです。「今日は友達記念日だああ!」と号泣しています。もともと感情の起伏が激しい人みたいですが(プロポーズの時もテンション高かった)。確かにオーバーと言えばオーバーです。

 そのあと、その初めての友達ジョニーの姓が「リヴァモア」だったことに「神様の粋な計らい」を感じ、「可笑しくて泣いた」二人。確かにことあるごとに泣いているようなので、情緒不安定に見えます。なぜ、何が二人の感情の振幅を激しくしているのか。

 それは恐らく、レニーの寿命が尽きる日が近いという事実ではないかと考えます。

 歌詞のあとの方ですが、お医者さんがレニーに残された寿命を告知したという部分があります。二人はある時期に、レニーがそう長く生きられないことを知らされているのです。それがいつのことなのかはぼかされていますが、一番つじつまが合うとすればそれは、ショーンが仕事を変えるきっかけになったタイミングではないかと思われます。

 薬代のために「身を粉にして働」かなければならなかったショーンですが、身を粉にしてというからには、「おじさん、肉団子二つ入れて!」「今日も残業かい?」(byラピュタ)みたいな感じで働いていたというイメージです。しかし、仕事を変えて山間の街へ行ってから、三人で夕食を食べています。身を粉にしていたら家族揃って夕飯なんてとても無理ですよね。現代日本だって無理ですよね。だから忙しくしているお父ちゃんは子供達から顔も忘れられるという悲劇が起きますよ日本。そんな感じで、引っ越し以後のショーンはそんなにものすごい働いているという印象はありません。

 そして、ケイトとショーンがレニーに起きた些細なことでも泣くほど感激する理由。長く生きられない我が子が、限りのある人生の中で幸せなことや楽しいことを得たと思えば、愛情深い両親なら心揺さぶられずにはいられないのではないでしょうか。

 薬をどれだけ与えても命の限界が伸びることはなく、それならば残された時間を家族三人で過ごしたい。それこそが、引っ越しをした本当の理由ではないでしょうか。
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ハロウィンと夜の物語~キャスリーン・リヴァモア~

 いろいろあって間が開いてしまいました。すみません。陛下紅白出場おめでとうございます。当日はテレビの前にかじりつく所存。

 さていよいよ最後の曲ですが、長くなりそうなのでいくつかに分けていこうと思います。まずはこの曲の歌い手であるキャスリーン・リヴァモアについて。

 結婚し、夫とともにサンフランシスコを目指したアイルランド人の女性であることは、歌詞から窺えます。例のジャガイモの飢饉を乗り越えたのは兄が仕送りをしてくれたおかげ。しかし、兄の消息は途絶えてしまった。それを追いかけてアメリカへ渡ってきたようです。この「兄」というのが、一曲目に出てきたカボチャ男さんことウィリアムだかシェイマスだかわからん男さんらしいことは、両方の曲歌詞の端々からも窺えます。「星の綺麗な夜」でも、妹へ仕送りをし続けた云々と言うことが語られていますし、時期も合いますしね。彼が最後にいた場所が恐らくサンフランシスコであろうことは該当記事で触れたので詳しくは語りませんが、たいてい人を探す時はその人の情報が一番最後に途絶えた場所へまず向かうと思うので、キャスリーンが最初にサンフランシスコを目指した理由が、まさに兄の頼りが一番最後に来た場所だったことと考えるのは不自然ではないでしょう。

 キャスリーン(ケイト)は、夫と一緒に海を渡ったようですが、歌詞からするとちょうど航海のときは妊娠中だったことが窺えます。五人に一人は死ぬような船旅ですから、妊婦さんにとってどれほど危険で過酷だったことか……。その影響なのかは定かではないものの、難産の末産まれた子供はとても病弱で、心臓に疾患があったらしい。そんな事情なものだから、両親としてはできる限りのことをしようと思うのは自然なことですね。病床の息子が寂しくないよう、庭には花を植え絵本を読んであげ、常にそばにいるようにして親子三人寄り添うようにして生きてきた。

 サンホラ的には絵本ってあまりいい象徴じゃないんですが、あと花も踏みにじられたりしますが、花に関してはそれほど悪いものではないと思うんですよね。「moira」で花は運命に翻弄されて散ってしまってもそれをむしろ愛し肯定するように生きるという象徴で描かれていたと思いますし。ソフィーせんせー。

 そして月日が流れ、ある日彼女は息子の命の限界をお医者様に告げられる。さんざん悩んで「最後のハロウィン」への息子の参加を許したが、その結末は半ば覚悟していたものだった。

 というのが大まかなケイトの物語です。曲の冒頭がちょっと不気味だったり、歌全体にやはりどうしても悲壮感が漂うので、あとサンホラの曲だからというのもあるけど、どうしても不吉な背景を想像してしまう人も少なくないのでしょう。だってサンホラだから。特に、歌詞カードに書かれていない歌詞があったのに気づいた時は私もちょっとどきりとしました。何で書いてないのかという理由がやはり落ち着かないですね。しかし、歌い手さんの表現や歌詞や、そういうのをすべて含めて「物語」を読み解かなければならないと思うので、いたずらに不吉な方向へ持っていくのではなく、なるべく虚心坦懐に進めていこうと思います。いちおう物書きの端くれですので、サンホラーとしてではなく、小説を書くものとしての視点で読んでいこうかと。

 まず、そういう視点で曲を聴いて感じるのは、ケイトという女性がいかに息子レニーを第一に考え、優先しているかと言うことです。母親なら当たり前という以上の、悲壮なまでの義務感というか責任感というか、強い意思を感じます。これがどこから来るかというのは、やはり単純に考えてレニーの身体の弱さであると言えるでしょう。母体の健康状態などは、胎内の子供に強く影響します。現代でも妊婦さんは定期検診に行ってお医者さんに相談したり、風邪を引いたりしないよう健康に気を配ったりと大変です。あと体重の制限とか。なのに、彼女はその大事な時期を過酷で長い船の旅で過ごしており、それが息子の身体を弱くしてしまった、と責任を感じてしまったであろうことは容易に想像できます。夫のショーンはかなり愛情深くて感情表現が大きく、優しい人柄であろうことも見て取れますし、そういう夫に対しても申し訳ないと思ったのではないでしょうか。だからこそ、彼女にとってレニーの幸せこそ何よりも叶えなければならない大切なこと、使命と呼べるほどの重要事項であるといっても過言ではないのでしょう。

 そんな母であれば、寝たきりの息子の狭い世界が彩り豊かであるようにたくさんの花を植え、動けない息子をせめて想像の世界へ旅させてやりたいと絵本を読んであげるのは当たり前ですね。

 生まれてきてくれてありがとう、パパとママにしてくれてありがとうと子供に言えるお母さんなのだから。

開運帖 2013年12月号

開運帖 2013年12月号

開運帖 2013年12月号

[編]イースト・プレス

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ハロウィンと夜の物語~朝までハロウィン~

 この曲に関しては、次の「おやすみレニー」に関わるので、単体ではあまり触れられないような気がします。この曲だけを聴くと、子供達がハロウィンでおやつをもらって回る様子を描いた歌です。単体で聞くと、幼稚園のお遊戯会でも踊れますね陛下byラジオ

 女の子が三人、男の子が六人?いるようですね。名前は全部アメリカというかイギリスというかの名前みたいです。レニーはレナードというのが正式な名前のようですが、この子は次の曲の主役でもあります。あとジョニー。下の名前は明らかになってますが、ジョニーが愛称なのかもしかしてもっと長い名前なのかは不明。ジョニーが愛称になる名前だと、ジョナサンとかジョンとかかな?

 年代は恐らく、次の曲で詳しく触れますが、1850年代の前半から中盤辺りかと思われます。ゴールドラッシュのものすごいブームがまだ終わってないくらい。場所はどこだか触れられていませんが、「山間の街」であるのは確か。

 ちょっと気になるのが、子供達の名前の発音です。オール英語読みなんですが、最初から英語でつけられたのか、それともアイルランド語の名前を英語に直したのか。レナードというのは英語読みです。アイルランド語ではちょっと違うらしい。ジョニーも英語によくある名前。彼らの住んでいる街がアイルランド人コミュニティなのか、それともアメリカ人も住んでいる街なのかによって、彼らがハロウィンをするという意味が大きく変わってきます。

 「ハロウィンについて」辺りの記事で触れたように、ハロウィンがイベントとしてアメリカに広まり定着するのはおよそ一世紀ほどのちの話です。この1850年代の頃は、アイルランド人コミュニティの中でのみ行われていたらしい。むしろプロテスタント的には異端の行事。怒られます。カトリック的にもたぶん怒られそうです。昔は今よりもずっと宗教的な禁忌は厳密だったろうから、子供達がハロウィンをやって街を練り歩くなんてことをしたら、地元の教会から保護者もろとも怒られたんじゃないだろうかと思われます。それが許されたのは、やはりこの街というのがアイルランド人の多い場所だったからかもしれません。

 ともあれ、子供達は仮装をしてあちこちの家からお菓子をもらい(どうやら各々の家だったらしい)、最後にジョニーの家へ行こう、というところで曲は終わっています。何でそこで切れてしまったのかは、次の曲で推測されます。

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ハロウィンと夜の物語~カボチャの男について~

 なんかさんほらの考察してると軽くレポート一本くらい書けそうだよねママン。でも他の人の考察もあるから自分でやると何となく同じような部分には触れられなくなっちゃうという罠。

 というわけでシェイマスの名前については他の人の考察がすでに出てたこともあってすっ飛ばしていたのですが、後日確かめてみたら「シェイマス=ウィリアム」ではないことが判明しました。英語読みだとジェイコブだかジェームスだか。もう遠い昔のことさ……ではなくて。なんでシェイマスとウィリアムが一緒に歌詞に出てきているのかは、「ウィル・オー・ウィプス」が関係していたようです。

 ハロウィンのカボチャのランタンはよくシーズンになるとお店のディスプレイになっていたりしますが、昔はカブで作っていたらしいです。アメリカに来たらカボチャの方がよく手に入るからということでカボチャで作るようになったとか。ウィル・オー・ウィプスはいわゆる鬼火ですが、ウィリアムという男が聖ペテロをだまくらかして好き勝手やった挙げ句、天国にも地獄にも行けなくて彷徨うようになったのを、悪魔が哀れんで炭火を一つあげたというのが伝承です。で、カボチャのランタン、「ジャック・オー・ランタン」は、アイルランドやスコットランドにおいては「ランタン持ちの男」、つまりウィル・オー・ウィプスと同じ者とされています。光る玉またはカボチャ頭の男の姿で現れるという。こっちは旅人の道案内もしたりします。カボチャのランタンに火を入れると、悪霊を遠ざけていい霊を引き寄せるんだとか。

 アイルランドではジャック、余所の国ではウィリアム。ジャックはジェイコブの愛称の一つ。つまりこの伝承を元にするとジャック=ウィリアム。そしてジャックつまりジェイコブ=シェイマス。おお……! 繋がるナガルナガルナガルナガル!!!!! ノ>▽<)ノ ハラショー! よってシェイマス=ウィリアムの公式が成り立ちましたね!!!!!!!

 これを元にシェイマスのその後というか死後を考えてみると、彼はウィル・オー・ウィプスになってしまったのではないかと推測されます。死んでもこの世を彷徨い続ける魂。これにはいっこだけ理由がありまして、CDの歌詞カードを光にかざすと、割と下の方にいるシェイマスらしき人(「おやすみレニー」の下の、木の枠みたいなところに立っている人)と、「朝までハロウィン」の下の方のカボチャが重なっているんです。綺麗に。そしてカボチャ頭の男の人に見えるようになっている。カボチャ頭の男……そう、ジャック・オー・ランタン氏。絶対これ陛下が企ててますよね。さすが陛下ですよね。他にも影が重なる部分には気になることもありますが、他の曲なので後回し。

 「あの行列についていけば」と曲の冒頭で歌われていますが、ハロウィンは、一年に一度異界との門が開き死者がこの世にやってくる日です。この世へやってくる死者達について、死にきれなくなった男が果たして戻りたい場所へたどり着けたのか……。「星の綺麗な夜」では語られていません。

デビルズナイト

デビルズナイト

デビルズナイト

[著]浅海ユウ [画]石川沙絵

湊かなえ氏絶賛!

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ハロウィンと夜の物語~シェイマス・リヴァモア~

 やっとここまで来ました。歴史の考察とか調査が意外に時間かかりました……。これで作品を作る陛下はやはりすごい。

 一曲目の歌詞を順番に見ていったら歴史的事実に触れたところばかりだったんですが、「弱いもの集まれば~」以降は、一人の男の人生へと焦点が移っていきます。「弱いもの~」以降は、どうもアメリカにおける当時の差別を表した部分ですが、アイルランドからの移民達はどちらかというと差別を受ける側でした。当時はまだ黒人の奴隷制度でごたごたしていた頃で、ただでさえ仕事になかなか就けないアイルランド人達は、黒人と仕事の奪い合いをするような状況でした。自然、両者の関係は悪くなります。アイルランド人は、黒人を差別することで「自分達はアメリカ人(もちろん白人社会の意味)である」ということを示していったのです。これがのちの南北戦争において、アイルランド人兵士達の働きに繋がっていくんですが、ちょっと先の話です(南北戦争は1861~65年)。CDの時間軸は10年も幅がないとみているので、時代は1850年の頭くらいまでだと思っています。これは後述。

 歌詞の後半は、「男」を視点として進んでいきます。流れ弾で膝を砕かれて退役してから、ろくな仕事にありつけず悲惨な思いをしていったことが語られます。流れ弾ですけど、1850年初頭にはアメリカでも大きな戦争はなかったようなので、軍人としての負傷ではなく、事故のようなものだと思われます。「男」がいたのはカリフォルニアじゃないかとみているんですが、ゴールドラッシュのころは治安が悪くて、自警団みたいなのをコミュニティごとに作るほどだったらしいので、あるいはそういう無法者達の争いに巻き込まれたのかもしれません。

 原因はともかく、仕事のない「男」は流浪の果てにどこかの街で恋人ができた。この街こそサンフランシスコだと思われます。ゴールドラッシュで人が増えたおかげで急速に発展した町で、移民も多かった街です。1852年には、ウェルズ・ファーゴという金融機関ができています。港町なので船の出入りも多かったらしい。そういう賑やかなところでなら、なんとか「男」も仕事を得ることができた可能性は高い。そして少ない賃金で故郷の妹へ仕送りを続けていたらしい。

 恋人の名前はディアナ。英語読みではダイアナになるので、恐らくアメリカ人ではないと思われます。前にも書いたように舞台がサンフランシスコなら移民が多いし、今でもサンフランシスコはラテン系の人が結構いるそうなので、彼女がイタリアから移住してきた人でも不思議はありません。前の記事でも書きましたが、旦那さんに呼ばれたり先に移住していった身内を追いかけて渡ってくる女性達もけっこういたらしいです。ともあれ「男」は恋人と幸せな日を過ごし、ある日身ごもったことを告げられる。

 このあたりの台詞ではディアナしかしゃべっていないし、歌詞もさらっと進むので最初は見落としたんですが、「月を経た祝福…唇を重ねた」と歌詞にあります。単に妊娠してキスをしたという意味でも取れるんですが、歌ってる時は「月をえた」って聞こえるので、「ツキ(運)を得た」と、「月を経た」を書けているのではないかと考えられます。その前の「お腹に手を当て」からつなげてみると、どうもここ、ある程度の時間の経過を表しているのではないかと思えます。「月を経た」と言うからにはそれなりの時間が経った場合の表現です。二日とか三日だと「月を経た」とは言わない。文字通り「何ヶ月か」の経過を表す言い回しです。そして、妊娠も確かに嬉しいことですが、「祝福」されるべきは喜ばしい帰結を迎えた時、すなわち「無事な出産」の時ではないかと。妊娠だけじゃまだ何が起きるかわからないし、今みたいに医療技術や機関も整ってないので、みんながみんな安産するとは限らない時代です。だからなおさら、妊娠だけじゃ「祝福」はされないんじゃないかと思うのです。ので、「月を経た祝福」は、「十月十日過ぎて無事に子供が生まれた」という解釈はできないでしょうか。

 そして、そのあと「唇を重ねた」と来るのも、何か裏の意味はあるのではないかと考えます。悪いことではなく、単にキスをしたという意味ではない、ということです。恋人なんだからそりゃキスはするし、むしろ普通のことではないかと。まして西洋の方々ですから、挨拶的なキスだってします。のに、わざわざ「唇を重ねた」と断るからには、何か意味が隠されているのではないかな、と思ったのです。キリスト教において「唇を重ねること」が特別な意味を持つ儀式があります。いうまでもなく「結婚式」です。日本でも教会で結婚式やる時は新郎新婦がキスしますよね。サンホラ界でも、誓いの口づけで残酷な永遠という苦い毒をくらう覚悟を決めて共に生きることになったカップルがいますね。

 ちょっと強引じゃないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここに「結婚した事実があったのではないか」と考えるのは、もう一つ理由があります。それは「男」もディアナもカトリックだったと思われるからです。「男」はここまで見る限りはアイルランドからの移住者、アイルランドはカトリック系です。さらに、聖パトリック大隊(ほぼカトリック)を「同胞」と彼が呼んでいることからも、それは考えられると思います。ディアナがイタリアから来た女性だとすると、イタリアなんかこってこてのカトリックです。法王様もおられるくらいです。バチカンだけど。こうして二人ともがカトリックだとすると、子供ができたら結婚しなければならない宗教上の理由ができてしまうのです。カトリックでは、私生児は忌避される存在です。「悪魔の子」とか言われるくらいのひどい迫害を受けます。知り合いのカトリックの人に聞いたけど、今でもやっぱり怒られるそうです。

 少ない賃金を妹に仕送りし続けるくらい家族思いの「男」が、自分の子供がそういう目に遭うとわかっていて結婚しないで放置するなんてことはないと思われます。私生児産んだ母親もやっぱりひどい目に遭うので、なおさらです。今の日本みたいに来賓呼んでなんちゃらってことは別にしないから、教会で誓いを立てれば結婚成立です。時代はちょっと後なんですが、シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」で結婚式のシーンがあり、お客さんとか誰もいなくても必要な手続きさえ踏めば結婚成立するのが窺えます。あそこはカトリックじゃないですけどね。というわけで彼らは結婚して、子供も産まれていたのではないかと考えます。最悪子供は生まれていなくても、やっぱり結婚はしていたと思います。今よりも宗教的なタブーは意識として強く顕れた時代でしょうし。そすと、英語ナレーションの「新しい始まりを告げようとしていた」も、子供の誕生を暗示するものとして解釈できるかな。

 しかし、「男」は月(ツキ)のない夜に背後から刺されます。相手はどっかの破落戸。しかも「野心家」だったらしい。目的は、たぶんディアナを得るためには「男」が邪魔だったからでしょう。歌詞で「ツキ合いたい女ハ〆るための手筈」と言ってますし。これもダブルミーニングですね。あえて解説はしない。(*ノ△ノ)

 目的がディアナ、彼女を自分のものにするための「手筈」として「男」を殺したということになるのでしょうが、言葉の表現として「誰それをはめる」というと、「誰それを計略に陥れる、罠に陥れる」のような意味として使われます。単に女一人手に入れるには大げさなような気がしますね。だから、何かしら別のもう一つの目的があったのかもしれません。「野心家」ですし。たぶんディアナは異国の地に女一人で生きてきてたと思われるから、もしかしたら資産もそれなりだったのかもしれません。西部の女性は逞しかったそうです。

 それでも、相手の男を殺すのはけっこうリスクというか手間というかがあったんじゃないかと思います。無法地帯とは言え無政府状態じゃないので、いちおう曲がりなりに保安官とか警察とかもいたはずですし。あとコミュニティが作っていた自警団。治安が悪いほど同じ仲間意識を持つ集団の結束力は強くなりますから、もし犯人だとばれたら報復を覚悟しなければならない。それでも「男」を殺さなければならなかったのだから、得られるメリットも大きかったのでは。ここでもやはり「結婚していた事実」が裏付けられる気もします。カトリックは確か相手が死なないと再婚できなかった(というか離婚が駄目)だったはずなので。破落戸の野心家は、ディアナ自身あるいは彼女に付属する何らかのメリットを手に入れるため、もしかしたら彼女との結婚すら望んで「男」を殺したのではないでしょうか。

 そして男は死にゆく中で「子供達の笑い声」を聞きます。音源ではハロウィンって言ってるので、ハロウィンをしている子供達の声を聞いたんでしょうが……そして「今日はハロウィンの夜」って言ってますが……。

 実はここ、不思議なんです。「ハロウィンについて」の記事でも書きましたが、アメリカでハロウィンが大々的になるのは20世紀初頭。この曲の時代が1850年代だとすると、まだまだかなり先の話のはず。1850年代あたりでも、特定のコミュニティではハロウィンをやってはいたんですが……。彼が死んだ現場はそういうコミュニティのある地域だったのでしょうか。でも、この子供達の声が二曲目の最初の方のと同じなので、「男」が死んだことで時間を超越したという考え方もできるかもしれませんね。

 歌詞の「シェイマスだかウィリアムだか」は、他の方の考察をみると、「男」の名前であるというのが定着しつつあるようです。ウィリアムをアイルランド読みするとシェイマスなんだそうです。死んでいったことで彼の名前も「遠い昔のこと」になってしまい、何か別の存在になったのでしょうか。

 三曲目をみると姓が「リヴァモア」だったということなので、語られることのなかった本名は「シェイマス・リヴァモア」ですね。


アイ・ラヴ・ハロウィン 第1巻

アイ・ラヴ・ハロウィン 第1巻

アイ・ラヴ・ハロウィン 第1巻

[原作]キース・ゲフィン [画]ベンジャミン・ローマン

「不愉快」ないたずらの物語。

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(株)パブリッシングリンクで主にファンタジーのTL、いるかネットブックスではBLとライトノベルで活動しています。

八谷 響@エルス

Author:八谷 響@エルス
 (株)パブリッシングリンクより、「奇跡の歌は南を目指す」でデビュー。最新作「貴公子が愛した身代わり乙女~想いは恋文に秘めて~」配信中。いるかネットブックスでBL、ライトノベルを配信しています。最新作は「カフェ・アクアリウムの不思議な事件」です。

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