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花のように、

2012.09.12.09:11

新刊そのⅡ

 新刊その2です。ユラ様に書いていただきました。ユラ様のブログにはリンクから飛べます。大正時代、一人の書生が出会った、それはそれは愛らしい少年の物語。以下サンプル↓「続きを読む」からどうぞ。


 とても愛らしく、美しい少女だと、初めて目にしたときに心ごと奪われた。


 私の主の家は当時、赤坂の近くにあった。赤坂といえばご存じのように、政界の大物や金持ちや、果ては軍のお偉方までが毎夜のように通ってくる界隈だ。
 あの頃はまだ書生で若かった私には、そこはかとなく感じられる脂粉や秘密めいた夜の香りがなんとも艶めかしくて、始終落ち着かない気持ちにさせられたものだった。
 地理的な関係で、昼下がりの頃には芸妓達の行き来するのを窓越しに目にしたり、往来に出て掃除などをしているときにすれ違ったりするのはよくあることだった。彼女達は一様に着飾り美しく、品があり、それでいてたとえば私の主の奥方のような良家の婦人とは違う、何とも言えない婀娜(あだ)っぽさが見て取れた。
 花魁道中、一夜の夢、籠の鳥。
 そんな時代は何十年も前に黒船に一掃されたとはいっても、あくまでも建前に過ぎないことは誰しもが知るところだ。漆黒の文明の威力が及ばなかった界隈で、それらはひっそりと形を変えて息づき、この大正の世まで生きながらえている。
 ――私が出会ったかの美しい少年は、古き時代が残した最後の夢だったかもしれない。


 主は至って真面目で控えめな方だったから、自ら色街界隈に足を運ぶことはなかった。だが、仕事上の駆け引きやらで同行させられることは少なくなく、そんな折は私まで巻き込まれることもあった。
 奥様を憚って、私を自身の清廉さの証人にしたかったらしい。奥様を恐れてではなく、気遣ったためだ。先年の大病のせいで、奥様は子を産めぬ身体になっていた。
 もっとも奥様はとてもよくできた方で、男には止むに止まれぬ事情もあるのだときっぱり割り切っていたようだから、これは主の取り越し苦労だったろう。
 さて、その夜私が主に連れ出されて赤坂のある店に連れてこられたのは、そういった背景あってのことだった。
 もちろん、主の許しがあるとはいっても、書生に過ぎない私が座敷でご馳走にありつけようはずもなく、こういう場合私は厨の近くの一室で別の食事を戴くことになっていた。
 味はたいそうよかったが、まかないより少し上というくらいの、ご馳走と呼べる料理では決してない。それでも私には十分で、これだけのためにでもお供してよかったといつも思うのだった。
 お膳を下げてもらい、茶で一服しながら、今日はなるべく早く帰れるといいがと考えていた。主も私も、どれだけ酒宴が長引こうと翌日の勤めを疎かにはできないのである。
 と。
 そのとき、だった。
 視線を感じ、私は右側の障子を見やる。少し前にぴたりと閉ざされていたはずのそこは、今僅かに隙間ができていて。
「おや?」
 行灯の灯りで、花簪の飾りがきらきらと星を生み出している。
 それは、少女だった。
 障子にほとんど隠れてしまっているが、大きな目とふっくらした白い頬、明るい柄の振り袖の一部が見て取れた。
 私はなるべく優しい笑みと声音を心がけ、少女に話しかけた。
「ここのお手伝いかい?」
「……いいえ」
 もしかしたら怖がって逃げ出すかもしれないと思いきや、少女は予想外にはっきりした口調で答えた。
「お客様、ですか?」
「ん? いや、お客様の付き添いだよ。うちのご主人はこういうところは不得手な方でね」
 手招きすると、少女はおずおずと障子を押し開けた。
 そこで私は再び、いや先ほど以上の驚きの念に打たれて茫然としてしまったのだ。
 美しい、少女だった。
 朧な行灯の明かりでも、頬のきめ細かさ滑らかさは疑うべくもない。切れ長の瞳は黒目がちで、灯を映して輝く黒曜石は好奇心と不安でゆらゆらとたゆとっている。
 しゃん、と、花簪(かんざし)が鳴った。
「……あの」
「ん? ああ……」
 凝視が心地悪かったらしい。少女はもじもじと縮こまった。私は慌てて目を逸らすと、咳払いをして気まずさをごまかす。
「ああ、と。私は森村健吾。君は?」
 多少わざとらしい気がしないでもなかったが、私の名乗りは少女から警戒と不審を取り去ってくれたようだった。
 愛らしい赤の振り袖の、裾をきちんと畳んで、少女は私の前にしずしずと座った。
「私は……苑(その)、といいます。ここで働いている律は、母です」
 律の名前を、私は知っていた。主の客がたいてい呼ぶここの名妓である。なるほど確かに苑の容姿は、あの華やかで美しい律によく似ていた。
 年の頃は十一、二といったところだろう。大きくなればさぞや、母と同じように人の目を惹きつける美女となるに違いない。
 遊郭でいうところの、引っ込み禿(かむろ)という少女なのだろうか。見たところ行儀作法も心得ているようだし、必要な嗜みを身につければ母のような名妓になるのも夢ではないだろう。
 けれど、何だろう。
 何か、違和感のようなものを覚える。
「兄様は、こちらで何をなさっておいでなのですか?」
 振り袖の袂をきちんと膝で畳み、苑は小さな声で話しかけてきた。兄様、という響きに、私は微笑を禁じ得なかった。郷里の幼い妹を思い出したのだ。
「いや、なに。主人の用が済むまでここで待っていることになっているんだ。何しろこの通り、一介の書生に過ぎないからね。主人とそのお客様のような方々とは、ご一緒に飯も食えないのさ」
「母が出ているお座敷でしょうか?」
「多分そうだろうね。君のお母さんは、この店でも一番の人だから」
 母を褒められたのが嬉しかったのか、苑ははにかんだ笑みを浮かべた。
 本当に、愛らしい。
 指先の、何という細やかさ。繊細な細工物のようだ。白磁の先端にはほんのり紅色の爪が丁寧に切りそろえられ、思わずうっとりと見とれてしまう。
「森村さん、森村さん」
 そのとき、障子の向こうから私を呼ぶ声がした。
「森村さん、旦那様がお呼びでございますよ。そろそろお帰りだそうで」
「わかりました」
 答えたものの、内心私は舌打ちしていた。この少女ともう少し話してみたかったのに。
「兄様」
 立ち上がりかけた私を、苑は見上げてきた。
 無垢で、可憐な眼差しだった。
「兄様、またいらっしゃいますか?」
「うん、たぶんね」
 いつと確約はできないが、主はよくこの店を利用する。またこの部屋で食事をする機会はあるはずだ。
 そう説明すると、苑は。
「では、楽しみにしておりますね」
 花のように、優しく笑った。


「あの子は男でございますよ」
 その恐るべき真実を突きつけられたのは、三日後のことだった。
 例によってまたこの店で酒宴を張ることとなったので、打ち合わせのために私が出向いたのだった。何かの拍子に私は苑のことを尋ね、それに対する答えがこれだ。
 しばらく私は、よほど間抜けな顔をいていたのだと思う。女将は苦笑いしていた。
「あの通り綺麗な子だし、まだ声も変わっておりませんしねぇ、振り袖着てたらわかるわけがございません。あんな形(なり)でいるのは、どうも律さんを真似してるようですね」
 母親の真似、とは。
「普段から母一人子一人でございましょう、だから言葉遣いやら仕草やら、母さんの真似をする。着物もね。あの器量であの立ち振る舞い、ほんとに女の子じゃないのが惜しいくらいですよ」
 やれもったいない、と女将は嘆いてみせる。
 しかし、うなずけないこともなかった。私自身、あのとき苑を前にして違和感を覚えたではないか。
 少年なのに、少女の姿を選ぶ。
 今の話によると母子しかいない家庭環境のようだが、そんなことであのくらいの年頃の少年が振り袖などを着たいと思うだろうか。私などは、その時分にはむしろ少女的なものは積極的に敬遠していたように思う。
「女将さん」
 一通り相談がまとまるのを見計らって、私は切り出した。
「あの子は今日も、ここへ来ますか?」
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「かなりあ」という作品で掲載されました。
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Author:八谷 響@エルス
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