新刊『蔵』7月配布予定

蔵ポスター

 約一年ぶりの新刊になります。upppiのBLコンテストに応募した作品です。構成なども改変し、イラストも2枚入ります。イラストはしおみずさんに書いていただきました。ありがとうございます。しおみずさんのサイトはこちら
 R-18ですが、どちらかというと雰囲気とストーリー重視です。P.80。表紙イラストのしおりがおまけにつきます。7月のおでかけライブin札幌で販売予定です。詳しくはまた後日ご報告します。
 以下、あらすじとサンプルです。サンプルは「続きを読む」からどうぞ。

 あらすじ
 圭輔は両親を亡くし、大学をやめ叔父の住む家へ身を寄せることになった。そこで命じられたのは、蔵の中にすむ美しい文緒の世話。なぜ文緒は蔵に閉じ込められているのか。戸惑う圭輔はその日の夜、叔父に陵辱される。

     一.

 「おじさま」ではなく名を呼ぶように。
成長した文緒が明瞭に言葉を話せるようになると、泰之はすぐにそう命じた。
 従順な子供は素直に従い、男はひどく満足した。
「泰之様」
 男が蔵の二階へ上がるなり、文緒は窓辺から立ち上がりぱっと笑顔になった。
「よしよし、さあお腹がすいたろう」
「ありがとうございます。おいしそうなお魚……」
「須磨で獲れた鯛だ。ゆっくり食べなさい」
「はい」
 行儀よく座り、文緒は着物の長い袖をきちんと膝の上で畳んでから、両手を合わせていただきますと呟く。躾の行き届いた美しい所作を見る度、泰之は自分の教育成果と子供の将来に幸福感と充足を覚える。
「おいしい」
「そうか」
 文緒は無邪気に笑う。旺盛な食欲を見せながらも、箸の運びはあくまで上品。文緒が食事をしている様を、泰之は目を細めて眺めていた。
 日に日によく似てくる。笑顔や声など、本当にそっくりだ。
 在りし日の彼女に。
 透子という名だった。名前の通り、透き通るような儚さ美しさを兼ね備えた麗人だった。
 それが、最後の二年間は見る影もなくむくみ、つやつやと肌理の細かかった皮膚はぼろぼろに荒れ果てて。
 生きながらにして、すでに彼女は骸だった。泰之を惹きつけて止まなかった輝かしい人生の、ただの抜け殻だった。
 そう、抜け殻。
 蝉のように、彼女はあの醜い身体を脱ぎ捨てたのだ。
「ごちそうさまでした。……泰之様?」
 空になった食器を重ね、あどけなく見上げてくる文緒の円い瞳。
 黒目がちの、とても澄んだ。
 彼が一番好きだったのは、彼女のこの目だった。
「お腹はいっぱいになったかい?」
「はい」
 微笑んで、文緒は男の膝に座る。そして甘えるように、小さな頭をことんともたせかけてきた。
 手入れの行き届いた黒髪を、彼は恍惚と指で梳く。
 彼女の髪も、こんなだったのだろうか。ついに一度も触れることはなかった。
「いい子だ」
 あやすように囁いて、小さな身体をそっと抱きしめる。文緒は、拒まない。拒むことなど、そもそも彼は教えなかった。
 常に従順に。決して逆らわないように。用心深く、文緒には恭順だけを言い聞かせてきた。
 すべてを文緒へ受け継がせた彼女が、唯一文緒と異なっていたのがそれだったから。
「眠いかい?」
 やがて目を擦り始めた文緒は、その問いにこくりと小さく頷いた。一度膝から下ろし、手早く布団を整えてそっと寝かせてやる。すぐに文緒は、寝息を立て始めた。
 何と無防備で、あどけない顔だろう。どんな悪夢にも煩わされず、ふっくらとした小さな唇を軽く開いて。
 知らず、ごくりと喉が鳴った。
 指を伸ばす。ほんの少し動かしただけで、容易に届く。柔らかな珊瑚に。
 邪魔するものはいない。誰にも、止める権利はない。
 ――あのときとは、違う。
 あと、少し。
 だが。
 突如、嗄れた音が耳を貫いた。強く背中を打ち据えられたように泰之は前へのめり、危うく声を上げるところだった。轟く胸を抑えながら、音の正体を探して辺りを見回す。
 蔵の二階。窓は小さくて、十分な明かりすら射さない。しかし、今の傍若無人な音が鴉の鳴き声だったことは、 続けざまに人を嘲笑う不快な響きでわかった。
 鼓動が、滑稽なほど速い。
 深い呼吸を繰り返し、泰之は心臓が鎮まるのを待った。今の騒ぎで眠る子供を脅かしはしなかったかと、そっと目だけで窺う。
 文緒は目覚めない。滾々と眠る様は、次第に彼に安らぎを与えてくれた。
 掛け布団を直してやり、泰之は音を立てないよう気をつけて立ち上がる。ゆっくりと階段を下り、蔵の外へ出て。
 閉ざした重い扉に、しっかりと南京錠をかけた。

     二.

 圭輔は、駅を出るなり当惑した。
 何も、なかったからだ。
 乗り合い自動車も、人影も。民家も見当たらない。ましてタクシーなど、望めるわけもなかった。
 どうすればいいのだろう。叔父の家には今日行くと連絡してあったのだが、迎えに来てくれるかもしれないという期待は見事に打ち砕かれたわけだ。
 だが、いつまでこうして立ち尽くしていたところで、目的地へ着くわけでもない。この辺りを知るために、散歩がてら歩いて向かおうと考え直す。天気がいいのは幸いだった。
 帝都と違い道は舗装されておらず、歩く度乾いた土埃が舞う。両脇には背の高い木が立ち並び、春の柔らかな風にさわさわと枝が揺れている。
 思わず、溜息が出た。生まれたときからずっと東京で暮らしてきた圭輔は、こんな大きな木を見たことがない。長時間汽車に揺られてきた身体の強ばりと気持ちの鬱屈は、のんびりと周囲の風景を眺めているうちに嘘のように霧散していた。
 深呼吸し、視線を転じる。頭上、左右の林、そして道の先へ。
「あっ」
 小さく呟き、足を止める。曲がりくねった道上に、背を丸めこちらへやってくる人影があった。
「すみません」
 声が届くほど互いの距離が狭まるのを見計らって、圭輔は声をかけた。彼よりも少し小柄だががっしりした男は、日に焼けた顔を上向け胡散臭そうにじろじろと見つめてきた。
 圭輔のような開襟シャツにズボンという出で立ちや、ひょろりとした体つきは、この辺りでは見慣れないのかもしれない。やや不躾な凝視だった。
 それでも臆せず、彼は礼儀正しく問いかけた。
「恐れ入ります。この村に羽嶋さんという家があるはずなのですが、ここを真っ直ぐ行けばいいのでしょうか?」
「……羽嶋の旦那の知り合いかね?」
 ぶっきらぼうな声に怯んだものの、圭輔は頷いた。
「ええ、そうです。僕の叔父なんですが、こちらへ来るのが初めてなもので……」
 言葉が尻すぼみになったのは、男が突然目を剥いたからだ。
 舌が、身体が強ばる。不信感はある程度覚悟していたが、今男から向けられているのはそんなものではない気がした。
 もっと尖っていて、もっと悪意があって。
 喩えるなら、それは。
 ――憎悪。
 圭輔は、たまらず一歩退いた。肌が、ぴりぴりと粟立つ。適当にごまかして逃げだそうかと考えたが、男の眼光がそれを許してくれそうにない。
 鞄を掴む手に、力がこもるのを自覚する。
「そうか」
 だがすぐに、男の眼差しは和らいだ。
「羽嶋さんの家なら、この道をこのままお行きなせぇ。迷うことはねぇと思うが、わからなくなったら道の端に何軒か家があるから、尋ねてみなさい」
 その言葉は、抑揚はないが丁寧だった。先ほど感じたいやな目つきは、自分の気のせいだったのか。
「はい。ありがとうございます」
 礼を言って、圭輔は歩き出した。男はその場に留まって、彼の背中を見送っていたようだった。よその人間はそれほどめずらしいのかと思ったが、すぐにそんなことも忘れてしまった。
 男の言葉通り、その家はやがて圭輔の目の前に現れた。
 家というより、屋敷と表現すべきだろう。高い塀と生け垣、重々しく閉ざされた木の門は、圭輔を威圧して微動だにしない。
 圭輔は思わず茫然と屋敷を見上げていたが、いつまでそうしていてもどうにもならない。彼は大きく息を吸い込むと、来訪を告げる銅鑼を思い切りバチで叩いた。
 よく響くのにどこか眠気を誘う音が、軽々と門を飛び越え敷地の中へ入っていったのを、バチを片手に見守る。
 長く、待たされた。ひょっとして叩くのが弱かったのかと不安になったが、圭輔がもう一度銅鑼に向き直るより先に、門が軋んで中から押し開けられた。
「どちら様でいらっしゃいましょうか?」
「あ、ええと」
 よそ者への警戒意識はこの屋敷でも健在のようで、ほんの少しだけ開かれた門扉の隙間から、初老の男が顔だけ覗かせて圭輔を覗っている。言葉遣いは丁寧だが、目つきはやはり胡乱なものを見るそれだった。
「僕は奥島圭輔と申します。こちらの……羽嶋さんをお訪ねする約束は、数日前にいただいておりました」
「奥島様……ですか」
「そうです。羽嶋さんの甥に当たります」
 その一言がよかったのか、男は少々お待ちくださいと頭を下げ奥へ入っていき、程なく戻ってきたときには態度も表情も豹変していた。
「失礼いたしました。どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
 門がさらに重い音を立てて開かれ、圭輔は無事に招き入れられた。案内に立つ男のあとについて玄関へ向かったが、外から見るのとはまた違った佇まいに舌を巻いた。
 門構えは武家屋敷といった造りなのに、奥には西洋風の館があり、玄関のある日本家屋とは廊下で繋がっているようだった。
 男は、玄関から少し入ったところにある広い日本間に圭輔を通し、暫し待つようにと言い置いて出て行った。
 静かだった。あり得ないはずの、沈黙の音すら聞こえるようだった。それが落ち着かなくて、薄暗い部屋の庭に面した雪見障子の窓に、圭輔はぼんやりと視線を転じる。しかし庭は雑草を刈り取っているだけで花など植えられてはおらず、殺風景な眺めに気が滅入りすぐに目を逸らした。
「待たせたな」
 そのときすらりと障子が開いて、大柄な人影と盆を持った先ほどの男が現れる。
「圭輔か」
「は、はい」
 ぶっきらぼうな物言いに気を呑まれ、まともに挨拶もできずにいるうちに、初老の男は二人分の茶と菓子を置いて出て行ってしまう。
 圭輔は、恐らく叔父であろう人を前に、ぎくしゃくと頭を下げた。
 まず、背の高さが印象に残る。全体的に大作りなのだろう、肩幅の広さと逞しさが、向き合う者に威圧感を与える。
 年の頃は、四十代だろうか。顔立ちは整っている方だ。しかし眼光の鋭さは何なのだろう。行き来はなかったとはいえ親戚なのに。 
 圭輔は、顔を上げずに畳を見つめていた。なのに叔父の視線が、なぜかはっきり感じられる。
 顔から肩へ、腕へと降りていくのが。
 そわそわと肌が騒ぐ。不可視の感触に戸惑い、頬に熱が昇った。
 震える声で、それでも何とか言葉を絞り出す。
「初めまして……。奥島圭輔です」
「初めてではない」
 だがそれは、否定で拒まれた。咄嗟にどう返していいかわからなくなり、会釈の途中の半端な姿勢のまま圭輔は動きを止める。
 しかも、どういう意味だろう。
「姉はお前が三歳くらいの時、一度こちらへ連れてきている」
吐き捨てるように、叔父はそう続けた。
「まあ覚えてはいないだろうがな」
「三歳の時……?」
 反芻したものの、それらしい思い出の断片すら頭には浮かんでこなかった。
 母の絹代は、この叔父とは姉弟になる。年は近かったそうだが嫁いで以来交流を断っていたらしく、圭輔はつい最近まで叔父の存在も母の実家も知らなかったのだ。
 母が実家の話をすることは、一度もなかった。子供心に何か強いわだかまりがあるのだろうと察し、圭輔も尋ねなかった。
 唯一母が実家を訪れた際に同行していたとしても、三歳の子供の記憶力など当てになるわけがない。
 それは叔父も承知の上だったようで、すぐに話題を変えてきた。
「まあいい。ところで、向こうの始末はすんだのか?」
 表情が陰るのを、圭輔は俯いて隠した。
「大学の恩師がとてもいい方で、面倒を見てくださいました。家も全部、家具ごと売ってきました」
 それでも震える指先を、膝の上で強く握り込む。
 線香の匂い。広すぎる家。
 熱を持つ目の奥から溢れ出しそうになるものを、圭輔は必至で堪えて抑えつけた。
 圭輔の両親は、半年前に同時に亡くなった。
 車にはねられたのだ。豊かさの象徴である自動車の負の側面を、こんな形で思い知らされるとは思ってもみなかった。
 両親は、特にそうだったことだろう。二人ともいつか、自家用の自動車を持つことを夢見ていた。あまりに皮肉な巡り合わせだ。
 東京に親戚はいなかった。父の両親はすでに亡く、その兄弟達も圭輔を引き取るほどのゆとりがなかった。
 葬式の済んだあとすぐ、圭輔は大学をやめた。
 退学届を持っていった日の、建物の中のひんやりした空気や虚ろな事務員の声音は、きっと一生忘れない。
 門を出た直後、膝が崩れたことも。
 身も世もなく大声で泣き叫び、腰にサーベルを帯びた粗野な警察官に殴られそうになったことも。
 運良く恩師がそれを見つけて、自宅に連れて行ってくれたことも。
 圭輔が落ち着くまで背中を撫でていてくれた恩師の手の温もりが、不意に蘇る。あのときと変わらずそれは心を慰めてくれ、少しだけ過去の悲哀が遠のいた。
 圭輔は、腹を決めて顔を上げた。
 叔父は、刹那圭輔を苦しめた感情の揺らぎにまったく気づいた様子もなく、端然と座っている。
 短い間に何もかも失い、途方に暮れていた圭輔に届いたのが、この見知らぬ叔父からの手紙だった。
 とりあえずこちらに来ればいい、という素っ気ないが、あのときは何よりもありがたく感じられた。
 その言葉に甘えることにして、圭輔は家財を売り、長い汽車の旅を経てここへ辿り着いたのだ。
 しかしそれも、それほど長く続くものでないことはわきまえている。
「少し先のN市なら、たぶん仕事も探せると思います……」
 気を抜くと畳に落下しそうになる視線を、務めて叔父に向けるようにして圭輔はゆっくりと言った。
「こちらに滞在する間の費用はお支払いいたしますし、なるべく早く目鼻をつけますので、しばらくよろしくお願いいたします」
「その必要はない」
 男の声に苛立ちが混じったと思ったのは、気のせいだったろうか。
 再び絶句する圭輔に、叔父は感情の見えない目を向けてくる。
「お前を呼び寄せたのは、この私だ。ここでお前にやってもらいたいことがある」
「僕に……ですか?」
「先ほどお前を案内してきた爺やが、暇を取りたいというのでな」
 叔父は懐から紙巻き煙草を取りだし、火をつける。勢いよく吐き出された煙が顔にかかり、圭輔は軽く咳き込んだ。
「庭の奥に蔵がある」
 紫煙の纏わり付いた言葉が、部屋に満ちる。
「その二階に住まわせている者を、世話してほしいのだ」
 圭輔がその意味を理解するより先に、傍若無人な男は立ち上がる。
「ついてこい。見せてやる」
 雪見障子が、すらりと開く。
 そのまま男は庭に降りて、圭輔が我に返って後を追いかけたときには、もうだいぶん遠ざかっていた。

     三.

 敷地の一番奥に、蔵は建っていた。当然、高い塀に阻まれて表からは見えない。
 爺やは綺麗好きと見えて、家人以外誰も来ないであろうこの辺りまでも、きちんと草が刈られている。そのことが、多少なりとも圭輔の緊張をほぐしてくれた。
「ここだ」
 泰之は、懐を探って古びた鍵を取り出した。そこで初めて、蔵の扉を封じる大きな南京錠と鎖に気づく。
 よほど、大切なものがしまわれているのだろうか。
 考えてから、はたと思い出す。

 ――その二階に住まわせている者を、世話してほしいのだ。――

 住まわせている『者』。
 まさか。
 でも、どうして。
 ぞわりと、背筋を冷気が這っていく。
「入れ」
 短い叔父の言葉と、無機質に鍵の外れる音が重なった。
 扉が、開いていく。
 重そうな見た目に反して、少しも軋まない。日頃から使い込まれているのか。
 そうだとしたら、では、やはり。
「叔父さん……」
 呼んだときにはもう、泰之の身体は半分以上蔵の中に呑まれていた。
「ついてこい」
 声すらも、闇が発しているようで。
 ぞわりと何かが首筋を撫ですぎたように感じ、圭輔は身震いした。
「早くしろ」
 声は、苛立ちを帯びる。それに引かれるように、足が一歩前に出ていた。
 ひんやりとした闇に、たちまち全身が包み込まれた。
「お、おじさ……」
「こっちだ」
 明かりもないのに、泰之の足音は迷いなく先へ進んでいく。置いていかれたくなくて、あわてて踏み出したつま先が勢いよく何かにぶつかり、圭輔は呻く。
「何をしている。気をつけろ」
「すみません……暗くてよく見えなくて」
 舌打ちが聞こえた。
 委縮していた気持ちが、その短い音で不意に跳ね返る。
 苛立ちが、生じた。
 理不尽だ。
 この叔父は。
「不用意に動くな。何か壊しでもされたら困るからな」
 唇を引き結んでいる甥の様子を感知したのかどうか、そんな言葉と供に泰之が動いた。足音が上から聞こえるような気がして首をかしげたが、どうやら階段を昇っていったらしいと思い至る。
 目も、慣れてきた。
 背後の入り口から差し込む光が、柔らかく暗がりに中和されていく。足下を透かしてみて何もないことを確かめてから、圭輔はゆっくりと歩き出して。
 世界が開けたのは、その瞬間だった。
「うわっ!」
 突然溢れ出した真白の奔流で、痛いほどに目が眩む。両腕で顔を覆いうずくまった圭輔の背中に、まばゆさと一緒に落ちてきたのは。
「上がってこい。お前がこれから世話をする者だ」
 相変わらず少しもこちらに頓着しない、傍若無人な男の命令だった。
 まだちかちかと点滅する視界を、何度も瞬きしてごまかしながら、よろよろと圭輔は立ち上がった。階段の位置はすぐわかった。ゆっくり歩いて、傾斜の急な階段に辿り着き注意深く踏みしめていく。
 一段、一段。
 昇っていく。
 程なく、すっぽりと頭が異界へ飛び出した。
「来たか」
 天井の低い蔵の二階で、叔父は気怠げに座っていた。相変わらずの、苦虫を噛み潰したような渋面を作っている。彼の傍らに木の板があり、どうやら普段は階段の上にそれをはめ込んでいるようだった。板を取りのけたために、二階からの光が圭輔の目を射たのだ。
「そこに座れ」
「……はい」
 ともかく言われたとおりにしようと床に手をついて、おやと思った。
 階下は、木の床がむき出しだった。少なくとも、歩いてみた感覚では。なのにここには、畳が敷き詰めてある。
 周囲もどことなく、整然と片付いているように見えた。使わない道具やがらくたを、ただ並べてしまってあるのではない。一定の法則性と、利便性が感じられる。
一階とは、明らかに様子が違う。
 つい室内を観察していた圭輔が、気に障ったらしい。叔父が不機嫌に唸った。首をすくめて、圭輔はそちらへおずおずと向き直る。
「さあ、怖がることはないのだよ。出ておいで」
 だが叔父は、圭輔を見てはいなかった。その言葉も眼差しも、肩越しの背後に向けられている。
 その表情が先ほどまでとは一変していることに、圭輔は思わず我が目を疑った。あの不機嫌は演技でもしていたのだろうかと錯覚するくらい、横顔から窺えるのはただただ優しい労りだ。
 何よりも、柔らかく細められた目はどういうことだろう。口元の線の穏やかさと相まって、見ている圭輔までもがほのぼのとした気持ちになってしまう。
 何を見ているのだ。
 あのいかつい肩の後ろには、何が。
 いや。
 誰が。
 衣擦れの音が、やがて彼の疑問を解消してくれた。
 男の影から、こわごわと小さな姿が現れる。圭輔は目を瞠り、息すら止めた。
 鮮やかな、紅だった。
 何の花だろうか、大きく染め出された花模様が華奢な肩と裾に散った振り袖。その艶やかさが、まず彼の網膜に焼き付いた。
「……初めまして……」
 次いで聞こえた声音の涼やかさが、彼を衝撃から呼び覚ます。
「さあ、お座り。教えた通りにご挨拶するのだよ」
 叔父に促されるように、鮮烈な紅はゆっくりと姿を変える。
 美しい、少女に。
 圭輔の視線よりも、やや低いところに、小作りの愛らしい顔がある。今ではめずらしくきちんと結った長い黒髪に、銀のかんざしが煌めいていた。
「初めまして。文緒と申します。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
 綺麗に畳に手をついて、ゆっくりと頭を下げる。流れるように。
 たったそれだけの動きから、圭輔は目を離せない。
 いや、何よりも。
「お兄様?」
 顔を上げた文緒の視線が大胆に絡んできて、圭輔は今度こそ倒れそうになった。
 ふっくらとした朱色は小さな花びらのようで、柔らかそうな白い肌の上にひときわ映えている。黒目がちの大きな瞳はどこまでもあどけなく無防備で、その凝視に堪えきれず圭輔はあわてて俯いた。
 頬が、火照っていた。
「これから、お前が文緒の身の回りの世話をしろ」
 泰之は、打って変わった固い口調で命じてきた。
「いいな?」
「は、はい」
 まだいくらかぼんやりしたまま、圭輔も頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「はい、お兄様」
 少女は艶やかに微笑む。
 紅を引いたような唇が、圭輔の脳裏に強く焼き付いた。
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