ハロウィンと夜の物語~真実は虚偽~

 考察最終回です。歌詞カードの「おやすみレニー」の面のずっと下のほうに書いてある謎の言葉についてです。

 私はミステリーをよく読むんですが、正直この「地平線の序数」を読んでまず思い出したのが京極夏彦先生の「姑獲鳥の夏」でした。あと他の方の本でも、なぜか同じようなことがよく取り上げられて、目にする機会が多かったことです。

 すなわち、「人間の認識により、世界のとらえ方は千差万別である」という話。

 人は決して世界をありのまま見ているのではなく、一旦脳を通して認識するので、どうしても錯誤が起こりやすいのだそうです。大学の時勉強した心理学の授業では、記憶のメカニズムについてちょっとかじったんですが、記憶というのもその人の主観なり思い込みなりが混ざるので、決してありのまま起きた通りには覚えることはないんだそうです。思い返す度に変わっていく。よく言われる、「何か事故とか事件とかが起きた時、証言者の話がみんな食い違う」というのはそこから来てるんでしょうね。

 という知識が先にあったので、まず「真実は虚偽であり~」という部分を読んだ時に上のようなことを連想しました。人間はつまり、自分の望む物、見たい物しか認識しないということ。サンホラ曲でも「ゆりかご」がその代表例ですね。もう骨になってるのにお母さん的には「泣きもせずいい子」。

 「ハロウィンと夜の物語」では、何がこのケースに当てはまるかというと、やはりケイトの心情だと思います。ケイトは、「あの子(レニー)は今でも終われなかったハロウィンの続きをしている」と思い、「カボチャみたいな頭の男の子を見掛ける」こともある可能性をすら示唆しています。しかし、同時に矛盾するようですが、他者にとってそういう話が「作り話」だと思われることも認識している。そうでありながらもやはり、ケイトにとってはその「作り話」=幻想こそが「己の信じたいモノ」なのでしょう。

 これは、現実の人々にも当てはまることです。普段意識することはありませんが、死者に対する宗教的な行事などの時、ごく自然に「亡くなった人がこう思っている」と感じる事があるのではないでしょうか。例えばお盆など、「亡くなった人が帰ってくる」といいますよね。でもそういうのだって、乱暴にいってしまえば「お話」に分類されることなのです。仏教行事に親しんだ人にとってごく自然な認識でも、キリスト教の人から見たら「え、なんで死んだ人毎年帰ってくるの?」となりますしね。視点が変わってしまえば、当たり前が当たり前でなくなってしまう。真実が幻想になってしまうのです。

 ということを考えながら限定版のホロ見ていたら、角度によって見えない人々がいることにも意味があるような気がしてきます。通称木の下さん、そしてオレンジ色のお二方は、よくよくずらさないと見えない角度がありますね。おかげで私は、しばらく木の下さんの存在に気づかなかった(笑)。もしかしたらこの仕掛けは、上記のようなことを意味するのかなと。

 結構ゆっくりだから気づけば明日が大晦日というていたらくですが、以上を私的解釈としてまとめさせていただきます。ここまでおつきあいくださり、読んでくださった皆様、ありがとうございました。いろいろ勉強になることもあって楽しかったです。サンホラは深いですね。
スポンサーサイト

テーマ : Sound Horizon
ジャンル : 音楽

コメントの投稿

非公開コメント

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール
(株)パブリッシングリンクで主にファンタジーのTL、いるかネットブックスではBLとライトノベルで活動しています。

八谷 響@エルス

Author:八谷 響@エルス
 (株)パブリッシングリンクより、「奇跡の歌は南を目指す」でデビュー。最新作「貴公子が愛した身代わり乙女~想いは恋文に秘めて~」配信中。いるかネットブックスでBL、ライトノベルを配信しています。最新作は「カフェ・アクアリウムの不思議な事件」です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR